福島県本宮市に1914年創業、2022年に108年を迎えた本宮映画劇場。街並みの奥に分け入っていくと、いきなりあらわれる褪せたピンク色の巨大木造建造物が、1963(昭和38)年に閉館した当時の姿をそのまま残している。それは館主・田村修司さんの半世紀にわたる孤独な闘いがもたらした奇跡の戦果でもあった。閉館以来、館主だった田村さんはまったく再開の見込みもないまま、旧式な映写機をメンテナンスしつづけ、館内を掃き清めつづけ、たったひとり、いつでも映画を映せる状態に劇場を保ちつづけてきたのだから。町民からの無関心や嘲笑揶揄に耐えながら。
本宮の町が映画館というものを失ってずいぶんたつ。ひとびとは郊外のシネコンに通うようになり、映画の上映方式がデジタル主体になっても、1936(昭和11)年生まれの田村さんは再開の見込みがたたなくなった現在まで映写機に火を入れ、油をくれ、館内を掃除して回ることを止めようとしない。
平成20年、45年ぶりに町のひとびとに奇跡的に「発見」され、上映会が開かれたものの、それからもこの劇場にひとが集まるのは年に何度もない。それでも田村さんは映写機を撫でてはうれしそうに微笑んでいるし、家でもヒマさえあればフィルムをつぎはぎして、自分だけのミックス・テープならぬミックス短編映画を編集している。
かつて映画上映もすれば、女子プロレスや小人プロレスの実演も、ストリップも、浪曲や講談や歌謡曲やロカビリーの演奏もあり、というような地方の映画館が、言ってみればその町のエンターテイメント・センターだった。大都市の映画館のようにメジャー映画会社の封切り作品を上映するだけでは、地方の多くの映画館は経営が成り立たなかった。
いまの映画館では考えづらいけれど、かつて映画館と「実演」はそれほど違和感のある組み合わせではなかった。本宮映画劇場のように、もともと芝居小屋からスタートした地方劇場も多かったし、映画上映とともに浪曲や漫才、さらには女子プロレスまで交互にかける、映画館とライブハウスの役割を兼ねたコヤも、地方には特にたくさん存在した。
館主・田村さんの手元にもそうした実演のポスターやチラシが数多く残されていて、ここに展示してあるのもそうした実演ショーのポスターである――
「むかしはアクションもの、犯罪ものとかの劇映画2本に、15分ぐらいのストリップ映画をつけるのをよくやってたね。映画のあと、夜10時ぐらいから、実演タイムを設けたり。そういうときは田舎でしょ、お客は手ぬぐいで頬かむりしたり、帽子にメガネで顔隠したりして来るんだね、わかっちゃうけど(笑)。実演では女子プロや小人プロレスも、よくやったよ。男のは動きが激しいから無理だけど、女子ならここのステージでもできたんだ。まあ、見に来るほうはエロ目的だけどね(笑)。ストリップの代わりというか、水着姿を見に来たんだから。小人(のレスラー)が、女子レスラーに絡むでしょ。おっぱいをギュッとやって、そいでバーンって叩かれて飛んでったり……」。
女子プロレス、小人プロレスは夏祭り、秋祭りでも小屋掛けして興行していたし、テレビでも普通に試合が放映されていたことを、いまどれだけのひとが覚えているだろうか。