32 ぴんから体操

日本のエロ雑誌史上、もっともエクストリームな強度と純度を保持しつづけるシロウト投稿露出写真誌『ニャン2倶楽部』。その過激さと、画面から滲み出る抒情性は海外のハードコア雑誌とは一線を画す、日本的なるエロ・スピリットにあふれている。

 1990年の『ニャン2倶楽部』、そして93年の『ニャン2倶楽部Z』創刊当初から設けられた投稿イラスト・ページは、誌面の大半を占める投稿写真に圧倒されながらも、「イラストの森」「趣味のあぶな絵」「汗かきマスかきお絵描き教室」「現代の春画展」などと、そのときどきで適当なタイトルをつけられながら、現在も片隅で継続中だ。

 22年間の歴史が生み出した常連、名物投稿者は枚挙にいとまがないが、分厚い雑誌のうしろの2ページほどに、名刺ほどのサイズでしか掲載されない作品は、年々過激になっていく投稿写真の陰に隠れ、ほとんどの読者の注意を惹くことなく、現れ消えていった。

 それが写真ならいくらでも焼き増しすればいいし、デジカメの時代となった現在ではデータを送ればそれで済む。でもイラストは、そうはいかない。時間をかけて、一枚ずつ「オリジナル」を描かなくてはならないのだが、この種の雑誌は投稿作品を返却しない。つまりせっかく描いた作品が、編集部に送ったまま失われるということである。

 しかも投稿者のなかには作品の裏面に、ときにはびっしりと長文の解説というか物語を書き綴るものがいるのだが、投稿ページでは採用されたとしてもイラストが掲載されるだけで、文章まで載ることはあり得ない。そういう約束事を全部わかっていて、それでも創刊された1990年ごろから現在に至るまで、30年以上も作品を送り続ける投稿者がたくさんいるというのは、いったいどういうことだろう。

 自分の作品が掲載されれば、掲載料が微々たるものであっても、それはうれしいだろうが(しかし掲載の喜びをだれと分かちあえるのか)、失われることがあらかじめ約束されていながら、作品を描きつづけ、送りつづけ、失いつづけること。僕らが考えるプロフェッショナルなアーティストとは180度異なる創作の世界に生きる表現者が、それもメディアの最底辺にこれだけ存在していること。それをいままでほとんどだれも認識せず、もちろん現代美術界からも、アウトサイダー・アート業界からも完全に無視され、投稿写真家マニアからさえ「自分たちより変態なやつら」と蔑視されながら、いまも生きつづけ、描きつづけていること。

 そんな報われることのない長距離走の、もっとも伝説的なランナーをひとり挙げるとすれば、「ぴんから体操」であることに異議を唱える愛読者はいないだろう。

 太平洋に面した中部地方の小さな町に、ぴんから体操は1967年に誕生した。いまも生まれ育った町に暮らしている。

 中学卒業後に工員として働きながら、ぴんから体操が投稿を始めたのは19歳ごろのこと。最初は『ロリコンクラブ』や『オトメクラブ』『お尻倶楽部』が投稿先だったという。ちなみに「ぴんから体操」というペンネームは、ぴんから兄弟と、大好きな新体操の組み合わせ、だそうだ。

 画家ではヒエロニムス・ボスが好みというぴんから体操は、多いときには月産30点ほどもの作品を投稿する生活を続けていまだ飽くことがない。仕事を辞めた現在では、投稿作品制作と「オブリビオン」などのゲームにハマる日々を過ごしているという。

 ぴんから体操がニャン2に初登場するのは1992年1月。色鉛筆の繊細な筆づかいを特徴とする現在の画風とはずいぶん異なり、猫耳に大きな瞳の少女たちを主人公にした漫画ふうの作品だった。

 94、95年と投稿が一時途絶えるが、96年になって復活。しかしその作風は一変していた。90年代初期の漫画タッチは影をひそめ、黒ペンによる点と線だけで画面が構成された、それはダークなグロテスク・リアリズムであった。漫画家・東陽片岡を想起させる背景の緻密な描線と、点描による人物表現から生まれる異常な緊張感。突然の作風転換の裏に、いったいなにがあったのだろうか。

 おそらくはこの時期、ぴんから氏はニャン2だけでなく、『投稿写真』誌にもイラストを定期的に投稿していたらしく、そのクオリティに驚愕したリリー・フランキーさんが渋谷に小さな会場を借り、『投稿写真』から借り出した作品の展覧会を開催している(『美女と野球』にその顛末が載っているので、興味のある方はぜひご一読いただきたい)。

 2001年、ぴんから体操の作品に色が戻ってくる。ごく短期間、当時黄金期を迎えていた「モーニング娘。」をモチーフにした、淡いタッチのポートレートがあらわれ田のに続いて(しかしその背景には、すでに次の展開への不気味な予兆が見てとれる)、2001年から02年にかけてのある日、予想を超えた新しい画風の作品が、いきなり送りつけられるようになったのだった。

 「ぬるぴょん」と本人が名づけた、それは形容しがたいぶよぶよとした不定形のかたまりだった。それまで古典的な写実主義にいたピカソが、『アヴィニョンの娘』で突如としてキュービズムに突入したように、あまりにも唐突な画風の転換であり、裏面のサインがなければ別人としか考えられない、劇的な展開であった。時代的には2、3年に過ぎないのだが、私見ではぴんから体操氏のもっとも重要な創作時期、それがフェイズ2の「ぬるぴょん」期である。

 そうして2003年の短い休止期を経て、ニャン2編集部にぴんから体操からの封筒が、ふたたび届くようになる。しかしその中に入っていたものは、またもやがらりと作風を変えた、まったく新しいタッチの膨大な作品群だった。
 「うんこ少女期」とも言うべきその新作群で突然、ぴんから体操はふたたび具象に立ち戻る。色鉛筆を使った、淡いタッチの画面。その四角い世界のなかで、女学生やOLや女子アナや、さまざまに可憐で美しい、しかし垂れそうなほどの巨乳の女たちが、黄土色の糞便をブビブビと盛大にまき散らす。その糞便を下着として身につけたりもする。

 「豚澤豚子さん 21歳 フリーター 犬も食わないウンコブラ ¥2980」「村井豚美香さん 32歳 主婦 バカカップくそブラ ¥5800 ゲキくさうんこパンティ ¥7000」などと画中に書き込まれた、ユーモラスな説明文・・・。「ぬるぴょん」の抽象世界から、このヒトコマ漫画のようなイラストレーションへの転換は、いったいどうしたことだろうか。
 2004年から2005年にかけて集中的に「うんこ少女」シリーズが送りつけられたあと、ぴんから体操は長い休眠期に入ったが、ふたたびこれまでの各時期の特徴をリミックスしたような、ハイブリッドな新作が編集部に届くようになった。

 ぴんから体操は銀座ヴァニラ画廊での個展もあるが、ひとりでも多くのひとに知ってほしくて、自費出版メディアのBCCKSで『妄想芸術劇場001 ぴんから体操 都築響一編』として2012年に電子書籍と、分厚い文庫サイズの印刷版作品集をリリース。いまでも入手可能である(https://bccks.jp/viewer/105448/tachiyomi#!/)