常に旅しながら写真を撮り続け、コンビニでプリントアウトし、自分で編集して一冊だけの分厚いポートフォリオとしての作品集をつくる。それをファミレスや喫茶店やホテルのロビーで、見料を取って一対一で披露し、その売上げで旅を続けていく……たぶん写真家のだれもが憧れながら、だれもできていなかったスタイルで創作を続けている天野裕氏。対面のコミュニケーションにこだわってきたことから、プリントを額装して壁面に飾る通常の写真展も、印刷版の商業写真集もいままで実現していない。。彼の写真の噂は聞いていても、実際に作品を見ることができたのは幸運な少数に留まっている。
「種田山頭火を放浪の俳人と呼び、山下清を放浪の画家と呼べるならば、天野裕氏(あまの・ゆうじ)は放浪の写真家である。2017年に出会ったとき、彼は展覧会をせず、写真集の出版もせず、軽自動車に寝泊まりしながら日本中を走り回り、ツイッターで「きょうはこの町にいます」とつぶやき、喫茶店やファミレスやスナックや公園で「客」を待っていた。旅の時間のなかで撮影した写真をコンビニでプリントして束ねた「写真集」をテーブルに置いて。そうしてやってきた客に「一冊千円」で写真集を観てもらう。1対1で。その見物料で食費やガソリン代をまかない、また次の場所に行く。毎日が旅で、毎日が撮影で、毎日が一期一会の、極私的な展覧会。そういう生活を天野くんはずっと続けて、いまも続けている。愛車の走行距離が20万キロを越えて潰れてから飛行機や新幹線やバス移動に変わっただけで。
寒そうな海、フロントグラスに滲むテールライト、パンツを下ろした女の子、ぼやけた花、散らかった部屋、からまる舌、闇、光……それは旅情などという甘い語感ではとうていあらわせない、圧倒的にリアルな旅の時間の集積であり、乾いた日常であり、いつまでも終わらない旅であり、でもたしかにその旅には「情」の気配もあるのだった。」 (2023年9月末にリリースされた初の電子書籍写真集『わたしたちがいたところ』解説より)