高松和樹は1978(昭和53)年、仙台市生まれ。半透明の少女たちを通常のキャンバスではなく、運動会のテントなどに使われるターポリンという防水加工された白布をベースに、3DCGで制作されたイメージを野外用顔料でプリントし、その上からアクリル絵具で筆描きを重ねていくという、デジタルとアナログのハイブリッドのような特殊な技法で生み出してきた。
山形の東北芸術工科大学を卒業後、就活に失敗して家に引きこもっている時期に「公募展とかコンクールとか手当たり次第に絵を出品してましたが、うまく行かなくて、このままやってたらどうなるんだろうと人生を逆算してみた」という。すると「仙台でのしあがるのに何年、東京に出て何年って計算していくと、生きてるうちにはムリだという結論が出て! それでもう、これは海外を目指すしかないな」と決意。東京のギャラリーを回って海外に意識が開かれてるところをえらんで、2008年ごろから現在の作風を確立させていった。
「いまのようなのは、ちょうど卒業制作あたりだから2000年ぐらいに思いついたんです。でも周りからは『こんなのは絵じゃない」とか言われて、ちがう感じのをしぶしぶ描いてたんですが、とうとう我慢できなくなって。なので、そのあいだの8年間ぐらいはひとにも見せずに、ひとりで試行錯誤しながら描いてました。
2004~2005年ごろにまったくの独学で3DCGのソフトを使いはじめるんですが、使いこなすのにはかなり時間がかかりました。ソフトも海外のもので数字で打ち込んで、みたいな感じだし。機械のスペックも弱かったんで、レンダリングに1晩、2晩はあたりまえにかかったり……。」
日本よりも海外での発表が目立つ髙松さんは「世界で活動したいと思ったら、日本だったらどこにいても同じなんです」と言う。中央と地方の格差が昔から言われてきたけれど、かつてはメリットであり、マストでもあった「シーンの中にいること」が、もはや不必要でありデメリットにすらなりえる時代が、もう来ていると髙松さんの活躍が教えてくれる。