ドイツ生まれの彫刻家ピーター・シューマンをリーダーとして、1963年ニューヨーク・ダウンタウンのロフトで旗揚げされた前衛人形劇団ブレッド・アンド・パペット・シアター。アメリカにおける現代人形劇の先駆的存在。1974年にカナダとの国境に近い田舎町グローヴァーの地に本拠地を移し、ミュージアムを兼ねたシアターを開いたのが74年。現在に至るまで、築百年を越す農場を改造しながら独特の人形(大きなものは数メートルにもなる)を制作したり、劇団員のトレーニングを続けている。夏の週末には広々とした草原を舞台に、ユーモアたっぷりな中にも政治風刺を織り交ぜた野外劇を上演する。初期のヒッピー精神を色濃く残す、いまとなっては貴重な前衛人形劇団でもある。
2002年夏にグローヴァーを訪れたときに買い求めたのが<the WHY CHEAP ART? manifesto=なぜアートはチープでなくてはならないか宣言>と題された一枚の小さなポスター。その短い文章には、半世紀以上にわたって揺らぐことのなかった彼らの信条が簡潔に表現されている。「座右の銘」をひとつあげろと言われたら、これしかないというほど、僕にとっては大切な言葉だし、大道芸術館の水源もここにある。
「アートは美術館や金持ちだけに許される特権とされてきた、あまりにも長く。アートは金儲けじゃない!
銀行のものでも、おしゃれな投資家のものでもない、アートは食べものなのだ。アートを食べはできないけれど、アートは君を生き延びさせ、育ててくれる。アートはチープで、だれにでも手に入れられるものでなくちゃならない。アートはどこにでもあるべきだ。だってアートは僕らの生きる世界のうちにあるものだから」。
原文がすばらしく平明な原文のなかで繰り返される“チープ”は「安い」だけでも、「安っぽい」でもない。だれにでも、容易に手に入れられるべきものとしての、チープ。そういう「青い空に浮かぶ白い雲のようなアート」から、いまの現代美術は遠く離れてしまった。解説を読まないとわからない作品(だったら最初から文章にすればいいのに)、解説を読んでもわからない作品。ただの悪ふざけや内輪受け。漫画やアニメやグラフィティや、さまざまなポピュラー・カルチャーを薄めて、インテリっぽい味つけを施しただけの作品。そういうものに何千万円、何億円というプライスがついて、それがまた「そんな高価な作品には見えない、つまり価値のわからない自分」への劣等感と、その裏返しとしての「わからないアートへのむやみな尊敬」をかきたてる。「アートだから高い」のではなくて、「高いからアートなのだ」という皮肉なビジネス・モデル。それは寄付の金額が大きいほど、大きな罪も許された中世の免罪符システムと、なんとよく似ていることか。